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ベレッタ 92シリーズ - 米軍制式拳銃M9となるまで

M92ベレッタは1915年よりハンドガンの製造開発を開始し、イタリア軍に制式採用されるなど、数多くの実績があったが、第二次大戦が終結するまで、その製品はすべてブローバックであり、ロッキング機構を持った製品開発の実績は全く無かった。第二次大戦後に発足した北大西洋条約機構(NATO)にイタリアが加盟するにあたり、制式ハンドガンの9mmパラベラム対応が求められ、ベレッタは初めてショートリコイルロッキングを有するハンドガンの開発に乗り出した。この時に開発されたのがモデル1951で、ロッキングメカニズムはワルサーP38のドロッピング・ロッキングブロック・システムをコピーした。ベレッタがP38をコピーした理由は、ベレッタピストルの伝統であるスライドのオープントップ・カットを容易に実現するためだろう。
モデル1951はイタリア軍に採用された他、エジプト、シリア、イスラエル、リビア、イラク、パキスタンでも軍用として採用された。
モデル1951開発から19年後の1970年、ベレッタは新たに戦闘能力に勝るハンドガンの開発に着手した。赤軍によるテロが西ヨーロッパで多発するとともに、実業家を対象とした営利誘拐事件も頻発するといったイタリア社会の不安定さがその背景にある。それらに対抗すべく、警察や警察側の武装強化が必要とされたためだ。1975年に完成し、公開されたモデル92は、ダブルアクショントリガーとハイキャパシティマガジンを有する製品となった。S&Wモデル59は1973年に登場しており、これより2年遅れたものの、チェコスロヴァキアのCZ75と同じ年に発表され、この分野での先駆けのひとつとなった。
当初のモデル92はステップスライドと呼ばれる段差付軽量スライドが採用されていたが、間もなくこの段差はなくなり、幅広スライドが標準となった。発売後まもなく、イタリア警察からモデル92にデコッキングレバーの追加の要求が出てきた。チェンバーロードの際にコックされたハンマーを安全かつ容易に前進させるためのレバーだ。モデル92をデコッキングするには、ハンマーを指で押さえながら、トリガーを引いて注意深くハンマーを前進させる必要かせあった。イタリア警察はこれを容易にできるようにして欲しいと要求したのだ。それまでのモデル92は、コック&ロックが可能なモデルであったが、この時のイタリア警察の要求はその機能は必要ではないということだ。これ以降、ベレッタは様々な要求に応えながら、段階的にモデル92を改良していく。一気に改良するのではなく、要求があるたびに対処療法的な改良をおこない、最終的に92FSに至る。
1977年、イタリア警察の要求に従い、セーフティレバー兼デコッキングレバーをスライドに設けたモデル92Sが登場した。
1978年にはアメリカ空軍のハンドガン選定を目指したU.S.エアフォーストライアルが開始され、この要求に対応すべく セーフティレバー兼デコッキングレバーをスライド右側面にも設け、左手での操作を可能とした。またマガジンリリースボタンはトリガーガード付け根、左側面に移された。それまでのマガジンリリースボタンは左側面グリップ下部にあり、操作性が著しく悪かった。こうしてモデル92S-1が完成した。
このトライアルには、ベレッタモデル92S-1の他、S&Wモデル459、コルトSSP、FN HP-DA、FN HP-FA、HK P9S、HK VP-70Z、スター M28がエントリーした。アメリカ空軍はモデル92S-1が最も優れているという結論に達したが、空軍だけでなく、アメリカ軍全軍の制式ハンドガンを更新する計画JSSAPが1979年に開始され、米空軍だけで決定するわけにはいかなくなった。
最も優れていると言われながら、92S-1には否定的な評価もあった。錆びやすく、暴発の懸念があるというものだ。錆びはともかく暴発の懸念とは、オートマチックファイアリングピンロックが無いことに対する意見だろう。この懸念を受けてベレッタは要求されたAFPBを付け加え、モデル92SBを作った。
1981年U.S.Army Armament Material Readiness Commandはアメリカ軍次期制式ハンドガンの要求スペックを主要メーカーに開示した(XM9ハンドガントライアル)。 このXM9ハンドガントライアルの参加申し込みの締め切りは1981年8月15日、トライアル開始は9月15日とされたが、申し込みをおこなったのはベレッタ、S&W、H&K、SIG SAUER、コルトの5社だけだった。しかし、この時点で要求スペックに合致するモデルを期日までに提示できたのはベレッタとS&Wだけだった。結局、候補が揃わないということでトライアルは11月上旬まで延期となった。
再開したトライアルでは、ベレッタ 92SB、S&W モデル459A、SIG P226、HK P7M13とで競われたが、1982年2月、どのモデルも要求を完全に満足させるものではないとして最終的な決定には至らなかった。
1983年、ベレッタはXM9ハンドガントライアルの再開に向けて、92SBのトリガーガードもスクエアタイプとし、グリップ形状を変更した92SB-Fを開発した。この"F"は最終型Finalを意味するものらしい。
1984年1月、トライアルが再開し、ベレッタ モデル92SB-F、S&W モデル459A、SIG-Sauer P226、H&K P7M13、シュタイヤー GB、FN HP-DAで競われた。最終的にこのトライアルに勝ち残ったのは92SB-Fと SIG-Sauer P226の2挺だった。
残った2挺を納入価格、製造能力、その他で総合的に判断し、年内に結論が発表されるはずであったが、このトライアルは公平におこなわれていなかったとS&Wが異議申し立てを行い、結論の発表は先送りになった。しかし、U.S.Army Armament Material Readiness Commandはトライアルの公平性を再確認し、約1ヵ月遅れの1985年1月、次期アメリカ軍制式軍用ピストルM9はベレッタ モデル92SB-Fに決定したことを発表した。

これを受けて、モデル92SB-Fは一般市場で爆発的なセールスを記録するようになる。ベレッタは1985年中頃、92SB-Fの商品名を短縮し、モデル92Fに改めた。アメリカの警察市場へのペレツタ納入も活発化し、リボルバーからオートマチックへの移行が進む各地のポリスデパートメントでも92Fの採用が進んだ。
しかし、M9にはその後、トラブルが多発した。最大の問題はスライドの破断事件だ。海軍のNavy Special Warfare Groupでベレッタを射撃中、スライドが破損し、ちぎれたスライドがシューターの顔面をめがけて飛んでくる事故が1987年9月と翌年1月と2月に発生した。人身事故はこの3件のみであったが、陸軍でもM9のスライドにヒビが入るトラブルが11件発生している。さらにロッキングブロックの破断が軍、民間で多数発生しした。これが起こるとスライドが動かなくなり、使用不能となってしまう。
調査の結果、これらのトラブルの原因は、スライドおよびロッキングブロックの製造工程中の熱処理不良による強度不足と判明した。原因が構造上の問題ではないと結論付けたベレッタは、熱処理工程を見直し、同様の問題が発生しないよう対策したのだが、XM9トライアルの結果に不満を持つS&Wが主導し、1989年に米軍でXM10トライアルが実施された。これはM9の適性を改めて問うという側面を持っている。S&WはXM10トライアルにモデル459Aを提出し、新たにスタームルガーがP85を提出した。ルガーはXM9トライアルの時点でまだサンプルが完成していなかったのだ。ベレッタはサンプルの提出を拒否したため、既に軍に納入されているM9から無作為にサンプルが選ばれた。このXM10トライアルでも、やはり92Fが最も優れているという結論に達し、ベレッタは引き続きM9を納入することになった。
しかしベレッタは、万一、92Fのスライドが破損し後部が千切れたとしても、スライドカバーが後方に飛び出すことがないようにする対策を1989年におこなった。フレームにハンマーを取り付けているハンマーピンのヘッド部分を拡大し、その部分がスライド左後部に噛み合うようにしたのだ。もしスライドカバー後部が千切れて後方に飛び出そうとしても、スライドが通常より後ろの位置に来た瞬間、ハンマーピン・ヘッドによりレールから強制脱輪しスタックする。この対策を施したモデルは92FSと呼ばれ、アメリカ軍制式ピストルM9もこの92FS仕様に切り替わった。これが現在まで続いているモデル92FSの基本形態だ。


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