HOBBY THE TOMY

1911 コルト ガバメント

191120世紀初頭、.45口径のセミオートマチックハンドガンを自国の軍用制式拳銃に採用することを目指し、アメリカはトライアルを進めた。コルトは、ジョン・Mブラウニングの協力を得ながらトライアルモデルを作り上げる。それがトライアルを勝ち抜き、モデル1911となったが、この銃の改良発展型が100年後でも作られ続けるとは、当時誰も予想できなかっただろう。
モデル1911はブラウニングの設計とされているが、彼ひとりで完成させたわけではない。基本的なメカニズムはブラウニングのものだが、細部の仕様などは一緒に働いたコルトの技術者の意見が取り入れられて最終型となった。理想的な位置にあるとされるマニュアルセーフティなどは最後に付け加えられたようだ。どうやらブラウニングはグリップセーフティがあれば、マニュアルセーフティがなくても良いと考えていたように思える。いずれにしても、1911はブラウニングとコルトの技術者との合作と考えるべきだろう。
第一次大戦後、小改良を加えてモデル1911A1となったが、アメリカ軍用ハンドガンとしての寿命は本来であれば1950年代に終わっていた。第二次大戦で使われた各国のハンドガンを見たアメリカ軍は、9×19mmを使用するもう少し軽くコンパクトな銃を新たに制式採用する方針を持った。しかし、大戦中に作られた大量のM1911A1が余剰兵器として存在したこと、そして急いで更新しなければならないといった理由もないという消極的理由で9mm化計画は中止となり、M1911A1は延命化が図られた。それゆえ1950年代から60年代にかけて、M1911A1、あるいはコルトガバメントは、「ちょっと旧式な銃」と捉えられていた。
その一方で、コルトガバメントモデルは少し手を加えるだけで、素晴らしい戦闘能力を有する銃となるという認識を持った人々がいた。ジェフ・クーパーはその代表的人物だろう。スタンフォードで政治学を修めたジェフは、USMCとして第二次大戦、朝鮮戦争に参加、除隊時の階級は中佐だった。1976年、American Pistol Instituteを設立した時、ジェフは既に.45オートを使う実戦テクニックで広く知られた存在となっていた。
コルトガバメントは、素の状態では完全なコンバットハンドガンではない。当時標準仕様として装着されていたサイトは小さすぎて素早いエイミングはできない。マニュアルセーフティの位置は理想的だが、やはり小さすぎて確実な操作には不向きだ。少なくともその2ヵ所は真っ先に改良すべき部分だった。逆にその2ヵ所に手を加えるだけで、見違えるほど高性能になる。
そんなカスタム1911はロサンゼルスのガンショップKing's Gun Worksなどで作られた。そしてスウェーデン人のガンスミス、アルマン・スウェンソンが作ったスウェンソン.45が登場する。フロントストラップには30lpi.のチェッカリングが施され、グリップセーフティにはアールが付いた(ビーバーテイルが登場するのはもう少し後)。大きなアンビデクストラウスのサムセーフティを作り出したのもスウェンソンだ。S&WのKサイトを1911に装着し、フロントサイトは大型のものが新規に取り付けられた。トリガーガードをスクエアにし、その全面にはチェッカリングを加えた。手の大きなシューターにはロングトリガーを組み込み、そのプルは4lbs(1,814g)に調整、メインスプリングハウジングはアーチタイプからストレートに交換した。マグチェンジのスピードわ上げるべく、マグウェルのエッジは斜めにカットされた。精度を上げるため、アフターマーケット製バレルを組み込んだ。当時選ばれたのはBAR-STOだ。スウェンソンはさらにスライド左内側に突起を設け、このバレルテンショナーとオーバーサイズのバレルブッシングでバレルを安定させた。排莢不良をなくすため、エジェクションポートは低い位置まで削られた。このスウェンソンのカスタム.45が当時のカスタム1911の基本形となった。その後に登場し、名を高めたガンスミス達がマズルコンペンセイターを組み込んだり、ロングリコイルスプリングガイドの採用や、スライドの軽量化に挑戦するといったことが多々行われたが、基本的な部分のほとんどはスウェンソンが生み出したものだ。
「ちょっと旧式な銃」だった1911A1、コルトガバメントはこうした改造を加えるだけで、見違えるようなコンバットハンドガン、あるいはレースガンに生まれ変わった。
名だたるカスタムビルダーに1911をオーダーして、出来上がるのを待つ。当然、価格も高い。そんな時代が1970年代の終わり頃から90年代の初めまで続いた。ベースモデルは当然、コルトだったが、80年代中頃になると少し状況が変わってきた。1911クローンモデルの登場だ。昔から1911のコピーを作っていたスペインのスターやリャマといったもの、コンパクト化したデトニクスを除けば1983年のランダルが最初だろう。航空機装備品の製造会社Ken-Airが韓国からのオーダーで.45ACPハンドガンの製造を計画、これがキャンセルされたことから、1911A1をアメリカ国内で販売することにした。Rabdall Firearms Companyとして1983年に販売開始、コルトがまだ製品化していないステンレス製1911A1ということで、注目を集めた。完全な裏返しとなったレフトハンド仕様を含む24種のバリエーションを展開したが、1984年末にはその生産が止まった。
そのあとを受けるようにスプリングフィールドアーモリー(SFA)が1911A1の生産を開始したのは1985年だ。ベレッタがM9として採用され、M1911A1がアメリカ軍の制式から外れた年でもある。ちょうどコルトの品質が低下している時期であったことから、SFAの1911はカスタム1911のベースモデルとして使われるようになった。コルトはシリーズ80に切り替え、これにはオートマチックファイアリングピンブロックが組み込まれていた。安全性向上パーツだが、わずかながらトリガープルの感触が悪くなる。これが嫌がられたという側面もある。ブラジル製のSFA製品の出来も褒められたものではないが、カスタムするなら細部まで手を入れるので、特に問題ではない。そんなこともあってSFAは急速に事業を拡大する。これ以降、1911クローンを製造するメーカーは少しずつ増加した。
カナダのパラオードナンスは1985年にハイキャップコンバージョンフレームで事業を開始、その後、コンプリートモデルが登場した。STI Internationalは1993年にカスタム1911に参入、1993年に2011のハイキャップフレームが出来上がった。翌年、そこからストレイヤー・ヴォイド(SV)が分離し、現在のインフィニティファイヤーアームズとなっている。1995年、Kimberが1911の製造を開始した。
新興メーカーが多かった1911クローンだったが、2003年、S&WがSW1911を発売する。19世紀から100年以上ライバル関係にあったコルトを代表するモデルをコピーした製品をS&Wが発売したことは大きなインパクトがあった。これ以降、堰を切ったように大手メーカーが1911クローンを自社製品として投入してきた。SIGザウアー、ルガー、レミントン、トーラス、マグナムリサーチといったメーカーだ。他にもエド・ブラウン、ウィルソンコンバット、レス・ベアー、ダン・ウエッソンなどに加え、中小メーカーからも多数の1911が供給されている。それらの殆どはノーマルの1911ではなく、かつてスウェンソンやその後の1911ガンスミス達が作り出したカスタム1911の特徴を数多く組み込んだ製品だ。そういった機能追加により、100年以上前にブラウニングが中心となって作り上げた1911は、現代でも通用するコンバットハンドガンであり続けている。


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